草津けんか神輿
神輿について
ふだんは神社の奥深くに鎮座されている神様(御神霊)を依代(神霊が宿られる物)にお移しし、これを神社を模った宮形の輿(こし)にお乗せして、氏子町民が担いで街中を練り巡ります。このご神霊をお乗せする宮形の輿を神輿(御輿)といい、日本の祭に多く見られる祭礼行事です。
ふつう神輿は成年男子が担ぎますが、女性が担ぐ女神輿、子供が担ぐ子供神輿もあります。
草津けんか神輿の由来
草津八幡宮に伝わる古文書によれば、元文5年2月(西暦1740年)に神輿三基を新調したとあり、その後、幾度も新調や改装が行われたと記録にあります。今の神輿は大正13年に作られたものです。元文年間以前の事は不明ですが、今から約280年位前からお神輿による御神幸行事が盛大に行われていた事は確かです。
草津は古くから水運の便に恵まれ、魚市場ができ、漁業を中心に栄えて来た町です。広島市の西、この沿岸部一帯の中心の神社、総氏神様として崇敬されて来た草津八幡宮の例大祭(毎年旧暦8月15日)は、安芸国で最も早い秋祭りとして行われその年の各地の祭りの盛況を占うものであったと伝えられています。
例大祭々典終了後、御神霊をお乗せした神輿は、多くの人達に担がれ、伝統ある「草津祭音頭」を高らかに歌い継ぎながら神社を出発し、草津の町中にある神社(鷺森神社・住吉神社・胡子神社・龍宮神社)を巡行します。
この巡行(御神幸行事)の間、所々で神輿同志を激しくぶっつけ、競り合わせ、組み合わせます。その威勢の良さと華麗さ、賑々しい様は「草津けんか祭」「けんか神輿」として広く知られてきました。
近年、神輿は二基(一基は昭和40年代に破損)になり、平成に入り一時行事が中断するなど、行事の維持に困難な時もありましたが、平成15年より、若い人達を中心にした新しい組織『草津八幡宮神輿保存会』が結成され、年々充実した会となっています。平成17年の例大祭には、二基の子供神輿も加わり、賑やかな祭りとなりました。願わくば昔ながらに三基の神輿が揃い、華麗で活気にあふれた草津祭・御神幸行事が復活する事を願うものであります。